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みついしょうこhistory -沖縄 編①-

運命の出逢いから、ラブラブ沖縄旅行💓
その2ヶ月後には、東京を引き払って沖縄移住へ✈️
極貧生活、沖縄編はじまります^ ^
◇いざ、沖縄移住
勢いで…、
いざ、沖縄に降り立ったものの、
住む家もなく
仕事もなく。
とどめに…
お金も無く。
の私たち。
さぁて、どうするか?
幸い、
彼の知人の所有している別荘が伊江島という島にあり、東京からの荷物は一旦そちらへ。
2週間ほど、那覇の街を彷徨ってやっとこさ
アパートを借りられました。
でも、仕事を探すのがめっちゃ難航しまして…
今でこそ、派遣業が全国ベースで展開しているので、東京にいながら沖縄の仕事を探すのはスマホでポチッと、なんでしょうけど。
その当時は、本土から来ました!ってだけで、
どうせすぐ辞めて本土に返っちゃうんでしょ?くらいに、面接落とされまくりでしたえーん

頼みの綱の、彼の失業手当ても底を尽きそうで、
インスタントラーメンを2人で分けて食べる日々。
この時期の私たち、人生最大の極貧生活でしたゲッソリ

ですが、2人とも何でか悲観的じゃなかったですけどね。
那覇の街を歩きながら、空き店舗見つけては、お金貯まったらこういうところでこんな事出来たらいいな♡とか。
当時の私たちにとっては、、夢と希望がご飯だったようで(笑)
今思えば、この勢いで2人で何か初めてたら、それはそれで面白ろかったかも、と考えたりします。ま、それを選ばなかったのも正解なんですが😂
ハッキリと言えることは、
振り返って考えてみても、やはり〝 お金が貯まったら 〝の〇〇してから、は一生やってこなかった。
 
〇〇してから〇〇する…
は、一生やってこない。
 
毎日の思考から選ぶ小さな選択が、人生を大きく左右するんだなぁと振り返ってしみじみ思います。
さて、
しばらくして、2人とも何とか働き口が決まり、ようやく、沖縄生活の日常がスタートしたのでした。
◇沖縄…合わない、嫌い
沖縄で採用されたのは、百貨店の化粧品販売。
いわゆる、美容部員さんってやつです。
百貨店の販売スキルを買われて、ようやく見つけたお仕事。
私はここで最低3年は続ける!と決意して、いよいよ張り切って勤務スタートしたわけですが…
ここにきて沖縄風土への抵抗が出てきます。
沖縄…合わない。
早く、本土帰りたい。
あんなに気に入って飛び込んだ沖縄。
けれど、旅行で訪れるのと実際に住むのではやっぱり違います。
うちな〜たいむ、といわれるのんびりベースに合わせられない私…
しかも、お客様は私のネームプレートをみて、
「あんた、本土の人間か?
あんたからは買わないよ。」
と、戦争を経験されたお客様からは購入拒否。
東京の超有名店で高ぁいスーツ売ってたんだから、沖縄の化粧品くらい売れる!と伸びに伸びてた私の鼻は、ポキポキポキポキ見事なまでにへし折られるのでしたショボーン

とことん沖縄を嫌いになっていた私。
そして、考えます。
どうして、こんなに受け入れてもらえないんだろう?
何がいけないんだろう?って。
奇しくも店長になっていた私は、あっちのお店、こっちのお店…と売れているお店を観察しました。
そして、発見したこと。
ここは、東京ではなく沖縄なんだ、ということ。
東京流のお堅い接客では、沖縄では受け入れられない…
そう気付いてから、私はガラッと接客スタイルを変えました。
まず、できるだけ沖縄弁に近づけて話す事
そして、
お客様の名前を覚ること。
東京では、お客様の探してるであろうコートをいらっしゃいませの瞬間にお出ししていましたが、
ここ沖縄では、
『 〇〇さん、いらっしゃいませ〜、お元気でしたか?そろそろファンデーション切れる頃でしたかね?』
言われなくても、その方の使ってる色をお出しするに変更。
顧客名簿に穴が空くんでないかい?ってくらい、お客様の名前と使ってるアイテム覚えました。
結果、
1日の売上げ歴代1位の数字を記録しました。
これが、
私自身が初めて体験した
苦しい状況でも 自分を変える事で望む現実がやって来た、成功実例です!
やり切った3年間、私は次のステージを目指します。
その頃に出会ったのが、当時エステサロンを何店舗も経営されていた片平智子さんという女性です。
彼女の生き方は月日が経ってもまっすぐで感動します。
智子さんのブログ↓
https://blog.goo.ne.jp/relight_2014
憧れの女性に出会った私。
美容の世界にこの後進んでいきます^ ^
続きます♡