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目指すところは「私という存在が必要なくなる」ということ

まだ、
“はじめ母ありき”という屋号になっていない時の昔話をします。
アロマ講師をしながら、

お母さんのケアをして飛び回っていた頃のこと。

ケアをさせて頂くお母さんの中には、
パニック障害をお持ちで、
家から徒歩1分のお子さんの幼稚園バスのバス停まで
しか外出できないような

お母さんもいらっしゃったり。

そんなお母さんたちのお宅を訪問しては、
アロマでケアしたり、
ほとんどはお話を聞いて、
カウンセリングみたいな事を

やってました。

「何とかしてあげたい」

「私がこの人を治してあげたい」

そう心底思って、
色々あの手この手を使って
【その人の為に】
をやっている中で、

ある時、気付いてしまった事があるのです。

それは、

『この人の為に…は、私の為にだった』

という事実に。

誰かを救ってる自分、でいたいだけ。

誰かの役に立っている自分、でいたいだけ。

実際のところ、

当時の私は、

まずは
自分が自分を救ってあげなければいけなかったし、
まずは

自分が自分の役に立ってあげなきゃいけなかった。

1番重要なそこをすっ飛ばして、
【自分以外の誰か】
の存在に、私が1番依存していた事に気付いた時、
正直、

半年くらい身動きとれないくらい落ち込みましたよ。

そもそも、
『救わなきゃならないものは何1つない』
『救えるのはその本人にしかできないこと』

だから。

そこから、
“はじめに母ありき”という屋号が生まれ、
はじめに自分自身を
はじめに私から

を大切にしてきました。

たくさんのお母さんと関わらせて頂いてる今も、
【救わなきゃならないものは何1つない】
という前提は変わらず持っているし、
【救えるのはその本人にしかできないこと】
と信じているから、
私は、
その人そのもののチカラを信じて、

ただただサポートするだけです。

最近、
“寄り添う”という言葉にも、

何だか違和感が出てきて。

私というサポートの存在は

もはや透明でいいなぁ、と思うのです。

その方が、
その人がその人のやり方とタイミングで
最高最善に美しく飛び立つと思うし、
実際に、
世にも美しい羽ばたきを見せて、
飛び立つ姿を見てきたので、
いつまでも、
“私”という存在がいないと飛び立てないのは、

真のサポートではない、と思っています。

そういう意味では、
はじめに母ありきのゴール設定は、
【私という存在が必要なくなること】
突然こんな昔話を、

しかも長文で書いてみたけど、、、w

まぁ、とにもかくにも、
今日も、
はじめに母ありき の
サポートさせていただきありがとうございます!
という感謝を伝えたかっただけなのでした^_^